2010年10月 のアーカイブ

朝寝・朝酒・朝湯 (ゼンのつぶやき)

2010年10月31日 日曜日

福島会津磐梯山の小原庄助さんは朝寝・朝酒・朝湯が大好きで身上つぶしたが、私の場合は一身上の都合(小指ではない)で都会から身を引き田舎暮らしを始めているが、朝起きがけに冷水の一気飲みはしている。朝寝・昼寝・夕寝は連日続き、日中から湯に入ることもしばしばあるが全く屋台骨は揺るぎもしない。

骨折後の腰骨は次第に回復してはいるが、屋台骨を支えるまでには至っていない。つぶす身上もないしお酒も飲めない、下戸でビールならコップ3cm程度飲めば程良い気分にすぐに成れるし、家で飲むことは年に数回も無い。飲まなくても腹次第で直にほど良い気分になれる。来年は菅政権より原巨人の方が期待は大きい。

海岸へのひとり散歩、やっと初めたリハビリ行動。屋台骨のぐらつきよりも、気にかかるはメタボ警戒線の浮上で止むに止まれぬ事情あり、私のリハビリ散歩は3歩ではなく3000歩30分。早起きは3文の得、海岸の砂浜に流れついた巨木が明日は我が家の庭を彩る。

家族も毎朝のラジオ体操は珍しく続いているが、「明日の朝、雨よ降ってよ!」 と唱えながら寝るのが習慣になる。サンホセ鉱山の地下から33名は全員無事救出。やることがない事は大変で、地下での仕事配分は見事な指揮官でした。やることのない事の辛さが身にしみる私にも、散歩、水まき、ゴミ捨てが割り当てられました。

国会・予算委員会 TVで観ていてもどこかの国の出来事のように思えたり、むしろチリ・サンホセ鉱山の出来事が身近な問題に感じる今日この頃です。いつかは訪れるひとり身の孤独感や不便さの田舎暮らし、果してどの様になるのでしょうか?

Zen

(  時間で変化する海岸の表情  撮影10月17日6時7分  写真1 )

(  時間で変化する海岸の表情  撮影10月17日6時21分  写真2 )

(  時間で変化する海岸の表情  撮影10月17日6時40分  写真3 )

(  時間で変化する海岸の表情  撮影10月17日6時55分  写真4 )

(  時間で変化する海岸の表情  撮影10月17日6時56分  写真5 )

(  時間で変化する海岸の表情  撮影10月17日6時57分  写真6 )

(  時間で変化する海岸の表情  撮影10月17日6時58分  写真7 )

(  時間で変化する海岸 振り向けば虹  撮影10月17日7時6分  写真8 )

AKB48!? ( ゼンのつぶやき )

2010年10月30日 土曜日

ゼンのつぶやきの読者は、年配者であろうと想像できます。その方々への質問ですが、AKB48、SKE48、NMB48とは何でしょうか? AKBはアキバと読み、秋元康氏による秋葉原から誕生させた新たなアイドルプロジェクトです。SKEは活動拠点の名古屋・栄の頭文字をとり、NMBは大阪・難波が活動拠点のグループです。

このほかにSDN48と言うのも在るようです。AKB同様に秋元康氏プロジュースのグループで土曜日の夜(サタディーナイト)が語源のようですね。言葉だけでも混乱ており、若者を観てまた混乱、目にも止まらぬ速さの展開に少々目まいを感じます。やはりお年寄りには、田舎暮らしの選択が正しかったようです。

AKB48は、48劇場と呼ぶようですが、48とは何かウィキ辞書で調べてみました。48は、縁起の良いたくさんの数として使用した数字であり、江戸48手(体位48手)とは、相撲の48手を真似て江戸時代に名付けられたもの。原子番号の48の元素はカドミウム(Cd)であり、48代横綱大鵬幸喜、日本の48代総理大臣吉田茂です。

 四十八願とは、法蔵菩薩が仏になるための修行に先だって立てた48の願の事だそうです。先日歴史教室バスツアーに参加した際に、訪問した浄土寺の境内と隣接する幼稚園。お寺の時代観では幼稚園と幼い子供たちは、アンマッチングのようにもみえますが、現代社会の問題を解くカギがここにあると思いました。

Zen

 ( 大分市内浄土寺のそばに立つ幼稚園 )

( 肥後初代藩主加藤清正の飛び地 大分の鶴崎 ) 

( 全国支配は毛利の空想ではなく、毛利空桑 )

( 明治維新で活躍した人達は、ここ知来館で学んだ )

時の過ぎゆくままに! (ゼンのつぶやき)

2010年10月24日 日曜日

 夏の半袖パジャマより冬用パジャマに衣替えし、肌掛けもタオルケットより冬用の毛布に交換した。暑い暑いと過ごした日から、もうすっかり秋めいてきており、炬燵に座り込む日もそんなに遠い日では無いだろう。過去ばかり振り返えることは、年寄りと暇人のやることかもしれないが、「いつの日か、せめて世界の半数の国(都市)を訪れてみたいと」 若かりし頃は夢を見ていました。

旅の始まりは、各駅停車に乗り込み数分間の停車時にホームで食べた立喰蕎麦や、夜には新聞紙を床に引きしめてゴロ寝をしたり、ある時は出稼ぎなどの帰省客でギュギュ詰めの足の踏み場もない鈍行夜行列車の中、各席の手すり手すりを股にかけながらやっとの思いでトイレにたどり着くなど、そんな楽しい思い出の周遊券での各駅停車列車の旅でした。

生まれて初めて飛行機に乗ってみたいとの思いでアルバイトで貯めたお金で、熊本発長崎行きのフレンドシップに乗ったのは高校生でした。元旦の夜も明けぬ前、雪に閉ざされ大きな氷柱の垂れさがった小道の雪を踏みしめながら、提灯を持った人を先頭に一列に続く列の後部に従い歩いた、古びた小さな神社での初詣。九州育ちのこの私が、最北の地 礼文島で迎えるこの新年行事は、5年間も続きました。

30数年間の東京でのサラリーマン生活を終えたある日、何とはなしに田舎暮らし体験ツアーの新聞広告に目が行き、安く九州旅行が出来るならと軽い気持ちで参加したツアー。その最中、家族が夜に足を痛めた際、丁寧に病院の世話をしてくれたその恩に報いるためか、縁も所縁もない大分県の海の見える山間のこの地を、第二の人生の移住先として簡単に決めてしまいした。それでも決して後悔はしてません。

生きるか死ぬか分からない状況下で移植し、見事に生き延びたシマトネリコ。名前はわからない木で、邪魔になって切断した切り株から、芽が出て延びだした枝と葉は、既に背丈を越えてしまいました。これらの木々は、ただ人に見てもらうための存在であり、特に主張する事も無く、太陽の光を浴び空気を吸い、水分を得るだけの毎日ですが、日々大きく育っていく生命力。その姿は感動モノです。

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( 試しに蒔いたクローバーの種  写真1  2010年9月28日撮影 )

( 試しと蒔いたクローバーの種  写真2  2010年9月29日撮影 )

( 試しに蒔いたクローバーの種  写真3  2010年9月30日撮影 )

( 試しに蒔いたクローバーの種  写真4  2010年10月2日撮影 )

( 見栄えの悪い階段に蒔いた西洋芝の種 写真1  2010年9月24日撮影  )

( 見栄えの悪い階段に蒔いた西洋芝の種 写真2  2010年9月30日撮影  )

( 見栄えの悪い階段に蒔いた西洋芝の種 写真3  2010年10月4日撮影   )

( ここまで育ったたくましい シマトネリコ ビフォー 2010年5月15日撮影 )
( ここまで育ったたくましい シマトネリコ アフター 2010年10月2日撮影  )
( 切り捨てられても生き抜くことを選んだ木 ビフォー 2010年5月14日撮影  )
 
( 切り捨てられても生き抜くことを選んだ木 アフター 2010年10月4日撮影  )

しよう こうかい? (ゼンのつぶやき)

2010年10月23日 土曜日

「元気・活力あふれるまちづくり」 フォーラムに参加した。広い駐車場があることが私の参加条件の一つだ。まず主催者代表の挨拶で始まり、次に地方公務員だった矢野大和さんは、大分県佐伯市の観光大使となり年間400回、既に3300か所で口演され、場数を踏んでるからなせる技で開始早々会場の笑いを取ってしまった。

2番目の講演は「夢あがり工房」の秦千恵美さんで、数年前に県指定の里の駅として会社を設立「豊後くにさきお宝めし」を販売しており、ふっくらとした顔立ちで元気そのもの、おばさんパワー全開の講演でした。お話はそこまで、CS巨人阪神戦が気になり途中退場。 しょうこうかい (商工会)に申し訳なく、しょうしょう こうかい(少々後悔)。

車中のラジオ放送で阪神ブラセルのホームランで1対0 。ところが家に戻りTVを点けた途端坂本のホームランで同点、少々不振だった小笠原も期待に答え追加点、何とか山口で逃げ切った。第2戦もかろうじて7-6で逆転、さぞかし阪神フアンは辛かっただろう。パリーグ3位ロッテがソフトバンクに勝利日本シリーズ進出を決めた。

ならば巨人も中日を倒し日本一を狙うのだと、18時の試合開始をTVの前で待つ。第1戦 0対5チェンに完敗。第2戦 0対2またも吉見に完敗。第3戦は3対2阿部のHRでやっと巨人勝利。今尚風前の灯火、何とか頑張って欲しい。この灯が消えた時、私にとっての今年のプロ野球の戦いは終了し相撲、マラソン、駅伝へと続く。

30分間3000歩コースのひとり早朝海岸散歩を始めて6日目。波が打ち寄せる砂浜を歩きながら思う、第2の人生 いつか しよう こうかい(航海)!

Zen

( フォーラム会場になった杵築商工会  )

( 砂浜をひとり散歩。そこに明るい夜明けが待っているから  写真1 )

( 砂浜をひとり散歩。そこに明るい夜明けが待っているから  写真2 )

( 砂浜をひとり散歩。そこに明るい夜明けが待っているから  写真3 )

( 砂浜をひとり散歩。そこに明るい夜明けが待っているから  写真4 )

娘の名 senada (ゼンのつぶやき)

2010年10月17日 日曜日

時は、1990年頃のバンコク北部近郊、登場人物は、社長D、日本人営業T、I、タイ人営業W、Yの5人のお話で、題して路地裏物語。中国系タイ人D社長は、かっぷくも良くいつもにこにこしていた。バンコク市内にビルを持っていることは聞いているが、アユタヤ、ラヨン、中国などに次ぎ次に工業団地を拡大し太っ腹になっていく。

日本人営業Tさん、まじめで楽しい人で一生懸命ゴルフを楽しみ、本社に帰国された後ゴルフの疲れがたたったか病に倒れ若くして亡くなったと聞いた。団地敷地内にTさんを偲び記念碑を建てたとD社長の口から聞いた。Iさんは、箱入り娘の様に奥さんを仕舞い込みお会い出来なかったが、その後日本、中国に転勤したと聞く。

次は、タイ人女性営業2名です。日本語をたくみに話すこの2人には、タイで何を釣るは別にして、出発のたびに成田で仕込んだ扇子や手鏡、色紙など低価格の土産を届けました。Yさんは、有名ホテルで働く男性と結婚後オーストラリアに渡り、パースで日本食レストランで働いていると聞いていますが経営者なのか確認してません。

最後に登場するWさんがオリエンタルホテルから出るチャオプラヤ川遊覧船を、我本社経営幹部の為に予約したものの待てど暮らせど船は来ず、慌てて近くの中華レストランを手配し歓迎パーテイは急遽変更。夜風にも吹かれず船酔いにもかからずほろ酔い加減で食べた中華料理のおいしさに助けられて宴会は無事終わりました。

タイ人の予約でも念には念を押さねば何が起こるか分からない時代で、お金を出せばパトカーが空港まで誘導してくれるのです。そのWさんはその件とは全く関係なく、夢に見ていた服飾デザイナーへの道に転身。娘の名で創業したお店は、エンポリアムやタイ有名デパート、フランス、ロンドン、アメリカなど世界中に店舗を持つブランドに成長。その後、家族で来日。東京銀座にて再会し事業の成功を喜びました。

路地裏物語は誤りで、路地穴物語(ロジアナ)でした。お詫びして訂正いたします。

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( 1993年3月27日のタイ国内美人コンテスト会場 写真その1 )

( 1993年3月27日のタイ国内美人コンテスト会場 写真その2 )

( 1993年3月27日のタイ国内美人コンテスト会場 写真その3 )

( 1993年3月27日のタイ国内美人コンテスト会場 写真その4 )

( 1993年3月27日のタイ国内美人コンテスト会場 写真その5 )

( 1993年3月27日のタイ国内美人コンテスト会場 写真その6 )

( 1993年3月27日のタイ国内美人コンテスト会場 写真その7 )

( 1993年3月27日のタイ国内美人コンテスト会場 写真その8 )

( 1993年3月27日のタイ国内美人コンテスト会場 写真その9 )

( 1993年3月27日のタイ国内美人コンテスト会場 写真その10 )

( 1993年3月27日のタイ国内美人コンテスト会場 写真その11)

( 1993年3月27日のタイ国内美人コンテスト会場 写真その12 )

( 1993年3月27日のタイ国内美人コンテスト会場 写真その13 )

( 1993年3月27日のタイ国内美人コンテスト会場 写真その14 )

( 1993年3月27日のタイ国内美人コンテスト会場 写真その15 )

( 1993年3月27日のタイ国内美人コンテスト会場 写真その16 )

まけ?おまけ?おおまけ? (ゼンのつぶやき)

2010年10月16日 土曜日

10月3日元横綱朝青龍の断髪式が挙行されマゲは無くなり、土俵上での負は無くなったがこれからの人生、意思(医師資格)も無いため歯医者にはならないだろう。一方の白鵬は現在62連勝で、負けなしのまま九州場所7日目で大分県出身の双葉山69連勝に並ぶが、願わくば歴史上の記録は大分県存在のまま残してほしい。

クローバーの種や西洋芝の種を蒔け、もらってきたプリペットの木に朝夕水をまけ、庭に放り出した長いホースを邪魔にならないようにリールに巻け、家族から命令形で言われること、これも楽しい。年のせいか対抗する気力やパワーはすっかり無くなり、負けるが勝ちと言う身の振り方を心得た田舎くらしになりました。

移住早々、市商工会のパンフレットを貰いに立寄ったところ、こっちですよ呼び止められ、そこで10000円で11000円分の買物クーポンが売り出されてることを偶然知った。近く売り出されるお買物券は9000円で10000円の割引クーポンに変わるが、地元活性化に大きく貢献するこのサービスはとてもうれしい、おまけです。

田舎暮らしを始めたと言っても、近くの町には大きなスーパーがあります。サンリブ(マルショクグループ)は、並び市や水曜市99円など値引き市を開催。ホームセンターは20日、30日は5%引き、 ナフコ店舗では 7日、25日はポイントサービス日。A-COOPは、ビンゴの日などお得でおまけのサービスが満載です。

10月8日、サッカー日本対アルゼンチン戦 1-0でザック初陣を飾る。一方最終戦の巨人は勝利を手中にしておきながら、9回裏の1アウト満塁。見送れば、押出しのチャンスがありながら、それが出来なくて延長戦で、ヤクルトにまさかの逆転負け、これで3位が決定した。「この悔しさをバネに、次は頑張る」と冷静に答える監督に頭が下がりました。私はこの大負けでイライラはつのり翌朝迄寝むれませんでした。

移住先杵築の地で迎える初めて冬の季節。落葉樹の葉はすべて落ちるのかな?

Zen

( 杵築市商工会の休日の玄関前です。 )

( 杵築市内のスーパー サンリブ です。 )

( 杵築市内のスーパー A-COOP です。 )

( 杵築市内のホームセンターのナフコです。 )

( 杵築市内のホームセンターのホームワイドです。 )

( 杵築市内の安売りスーパー アタックス です。 )

写心 その3 (ゼンのつぶやき)

2010年10月11日 月曜日

 

1967年出版 さらばモスクワ愚連隊(五木寛之)に影響を受け、リックを背負ってのナホトカ経由シベリア鉄道ロシア・ヨーロッパの旅は、怖いもの知らずの、若き肌で体験した出来事一つ一つに感動と興奮を覚えました。そんな過去の時代に撮った写真の中から選んでいます。 自己自慢がはみ出し気味ですが、笑って許して!
Zen
( シベリア鉄道の旅その1ーナホトカ航路・ヨコハマ港出発風景 )

 

( シベリア鉄道の旅その1ーナホトカ航路・ナホトカ港到着風景 )

 

( シベリア鉄道の旅その1ーシベリア鉄道・ハバロスク列車風景 )

 

( シベリア鉄道の旅その1ー イルクーツク・バイカル湖風景 )

 

( シベリア鉄道の旅その1ーどこかの町の電話ボックス風景 )

 

( シベリア鉄道の旅その1ーロシア・モスクワ赤の広場風景 )

 

( シベリア鉄道の旅その1ーモスクワ大学高台の結婚写真撮影風景 )

 

( シベリア鉄道の旅その1ーモスクワ市内の公園広場風景 )

 

( シベリア鉄道の旅その1ーワルシャワ市内の街の風景 )
  

 

 

BTS & MRT (ゼンのつぶやき)

2010年10月10日 日曜日

恐縮です。ゼンのつぶやきは、いつも断り書きから書き始めることが多くて申し訳ありません。1990年から2002年迄のタイ事情には強いのですが、最近の事情には疎く、過去を振り返ることが嫌いな方には適さないブログかもしれません。

1990年頃ドンムアン空港を過ぎて北へ向かう急ぎの車は、斜めに大きく傾斜した土手を(追越し車線みたいなもの)砂埃をあげて曲芸師の如く疾走したものでした。その後アユタヤまでアスファルト道路が完成、ドンムアン空港までの高架高速道路、第二高速延長化工事はやっとの思いでアジア大会開催に間に合ったのです。砂埃の時代から思えば良くここまで来たもんだと感慨深いものでした。

まだまだその先があります。ドンムアン国際空港までの高速道路脇のBTS(スカイトレイン)は、97年のアジア通貨危機、タイバーツの暴落に端を発し工事は頓挫、片隅に鉄骨ではなく鉄筋むき出しのコンクリートの柱が立ち並ぶ、異様な光景を目の当たりにしました。その後どのようになったかとても気になるところです。 

地下鉄(MRT)は、日本の掘削技術のお披露目の場みたいなもので、素人の私が完成前のトンネル内を汗だくになり歩いて廻ったのが昨日のようです。トンネル内に降りる階段や駅構内の工事も出来てない時点ですので、この工事が頓挫していたら世界中のネズミの住み家になっていたかもしれませんね。   

三輪車タクシー(ツクツク)に乗る時には値段交渉があります。タイ語で数字を並べたてればいいのですが、英語で交渉するのでは足元を見られます。現在走っているメーターTAXIも、当時はメーターは無く値段交渉が必要でしたので、ヌン、ソン、サンと数字をタイ語で言える事が条件でした。シー、ハー、ホック、チェット、パー、ガオ!

Zen

(スクンビット通り付近のBTS橋げた工事風景 その1です。)

(スクンビット通り付近のBTS橋げた工事風景 その2です。)

(スクンビット通り付近のBTS橋げた工事風景 その3です。)

(MRT地下鉄工事中の現場調査、全員汗だくでした。)

機能 今日 明日 (ゼンのつぶやき)

2010年10月9日 土曜日

杵築情報? 杵築に興味のあるの人にとっては、何故だ騙されたと思いますよね。洒落とウエットとペーソスに富んだブログを目指すゼンのつぶやきでは、杵築情報として杵築に住む人間の、機能、今日、明日をお伝えします。他人にやさしく自分に厳しくという生き方に別れを告げ、曖昧ないい加減さに転向した者が対象です。

脳の機能 : TVを観ていても、この人誰だったか名前が出てこない、こんな実体験は多いのではないでしょうか。名前だけではなく、思い出やイメージすら出てこなくなったら、幼なじみ、同級生や同窓生、過っての仕事仲間の人達とのつながりは、はかなく消えさるものなのでしょうか?

眼の機能 : タイに住んでいる時にレーシック手術の検査をしたのですが、余りにも眼が悪過ぎて成功の確率が低いという理由で諦めました。運転はしてなくても免許書の更新はしていますが、眼の検査が最大の山で一度ハネラレタことがあります。老眼もかなりの速度で近づ゙いてきてますがブルーベリの力を借りて遠避けてます。

歯の機能 :  幸いにもインプラント技術が確立され、その治療の為の経済力があったために入れ歯はしないで済みました。年金支給を待つ現在の田舎暮らしにおいて、歯の治療を余儀なくされれば、間違いなく見栄えなど気にしない入れ歯を選択することになっていたでしょう。何とかあと10年間は正常機能を保ち続けて欲しい。

体力機能 : 若い時は、冷や汗をかきながら朝昼晩と良く走っていました。体力には自信がありました。近くのスポーツジムに通ったり、ウオーキングマシンを購入したりしたのですが直に粗大ごみになってしまいました。老化防止の為に早歩きの散歩が必要ですが、リハビリ中、家の廊下は狭い為に海岸への散歩を計画中です。

下半身機能 : 以前マイバンタツと言うタイ語をご紹介しましたが、そのことが私に当てはまるということでご紹介したのではなく、当てはまらないということでお断りしておきます。それでも、毎晩ではないのですが、巨人が負けた時は腹が立ちます。

Zen

( 松井選手を応援に行ったときにニューヨークで買った帽子です。 )

( 免許更新の際に、視力試験のため度数を上げたスペアーメガネです。 )

( 日付けの調整がきかなくなった時計と少々若者ぶった時計です。 )

( 散歩の度に踏みつけられ、蹴飛ばされている耐えるシューズです。 )

〇谷〇太?  (ゼンのつぶやき)

2010年10月3日 日曜日

〇谷〇太? 山谷木太? クイズではないのですが、その人は、私にとって数少ない親友のお子さんの親友の話です。今までのブログ(ゼンのつぶやき)を欠かさず読んでいた方にはお分かりと思いますが、私の場合、田舎出身者の性分と言うのか、いくつになってもミーハーであることは既にご紹介済みです。

タイに滞在中のワタシのところに、三人の若者が尋ねてきました。バンコク宮殿広場近くのカオサンに宿泊していると聞き、当時は日本人旅行者にはとても危険な場所としては恐れられた宿屋街です。自分からこの町に乗り込む勇気はなく、この時は絶好の機会との思いで彼らの宿泊環境を見せてもらいました。

何故恐れていたかと言うと、過ってカオサンは、世界中のヒッピーやバックパッカーが安く泊まれて常宿化しており麻薬汚染され恐喝盗難事件が発生する場所で、日本人旅行者には不向きとされていました。犯罪者から見れば、日本人は現金を持ち歩き、言葉はたどたどしくお人好しで、格好の標的のお得意さんなのです。

現金やパスポートの盗難で済めばまだ諦めもつきますが、噂によればタイの場合は、警察に密告すればご褒美のお金がもらえるとあって、ベット内に薬を仕込まれたり、旅の恥はかき捨てとばかりに初体験の誘導に乗ってしまうとかあったようです。そんな事情を知っている私は、拒否反応が敏感に作動するのでした。

百聞は一見に如かず。行ってみて自分の目で見て、これなら恐れることはない。各国から来た若者達は楽しく旅しているではないか、見ると聞くとでは大違いでした。保身に入った者と、失う物の無い者との違いは大きく、彼らの場合一見して金を持ち歩く部類には入らず、逆にここで得た体験は大きな財産になったと思いました。

友人の葉書によると、息子の友人は現在いろいろな映画やTV番組に引っ張りだこで、NHK大河ドラマ龍馬伝や映画オカンの嫁入りに出ているそうです。龍馬伝も映画も見ない私には知らない名前でしたが、たまたまつけていたボクらの時代の番組の中で、兄さんは変人だということが印象的で桐谷健太の名を思い出しました。いつの日か演技にオカーサンでなくカオサンの味が出てくる日を待ちたいと思います。

Zen

( 初めて見たカオサンの宿泊環境 )

( 行きつけのタイスキ コカレストラン)

( おなじみのパッポン屋台 時計屋さん )