2010年8月 のアーカイブ

三日坊主 vs 照々坊主(ゼンのつぶやき)

2010年8月29日 日曜日

杵築市は猛暑日35度を何日も超えました。統計を始めて以来、今年の大分県8月平均気温は最高の暑さだったとニュースでは報じていました。熱中症の患者も続出する中、高校球児はその暑さのなか最高のプレーを見せてくれました。

唐突ですが、熊本城は三大名城に入るとか三大庭園はどことどこなどと言いますが、私の三大底辺(浮かばれない下手さ加減)で自慢するのは1位音痴、2位字が下手、3位足が遅いです。海外の職務を除いてはカラオケなど行ったことはなく風呂場で歌を口ずさむなど皆無です。近所迷惑を恐れています。

2位の字が下手と言っても、文書等最近はパソコンのお世話になっており芳名帳に記入することがなければクリアー出来ています。3位足が遅くても車の運転が出来るし今更運動会の出場機会は無いと思うし、一度逃げ足が早いか遅いか試しておく必要はあるのかもしれません。以上3位までは、自信を持って自慢出来ます。

次点4位が小学低学年で校外への写生大会では、締め切り時間までプラプラしていて全く下書きも出来ない惨めさと無能さを感じた時間でした。趣味のない老人になってはボケが早まると一念発起。2009年3月1日毎週1回日曜日の水彩画教室に通い始めました。まじめに通ったのは10ヶ月間。杵築市に引っ越して三日坊主が顔を出してしまいました。絵筆も握らずスケッチブックも開いていません。

田舎暮らし真っ只中、植木や草花の成長には十分な水分が必要なのですが、日照り続きの昨今、与えられた唯一の仕事は夕方の水撒きです。ボケ防止の為の作業として必要なのですが、草木の為には雨よ降れ降れもっと降れと雨乞いしたいそんな気持ちです。照々坊主を作る気持ちにはなりません。

車の運転にもう少し自信が出来てきたら、国東半島の神社仏閣を周ろうと計画はしているのですが、注意事項としてお寺訪問時にはくれぐれも「三日坊主と照々坊主はいらない」 と大きい声で言って、誤解を生まないようにしなければなりません。

Zen

( ゼンの手習い 2009.8.30 の作品)

( ゼンの手習い 2009.9.6 の作品)

( ゼンの手習い 2009.11.1 の作品)

( ゼンの手習い 2009.12.27 の作品)

W杯 マサッカー(ゼンのつぶやき)

2010年8月28日 土曜日

入院物語その6

入院初日は夜中だったせいか特別室を用意されていました。室内にお風呂とトイレもあります。寝て唸っているだけの私には何のメリットもありません。翌日次の患者が来たということで3階フロアーの一般個室へ引っ越しです。寝ている状態のまま6人の看護婦が移動ベットへ移し運びました。私には階が変わろうが部屋の状況が変わろうが天井の模様と窓の外の空景色が変わっただけでした。

2週間の点滴と安静時期が過ぎ、1カ月経ったころです。部屋を変わってほしいと言われました。個室から4人の大部屋です。嫌だなと思ったのですが、次に必要としている人がいるのならわがままは言えないと承知しました。天井を向いたまま移動ベットで運ばれたのですが、大部屋に入ると「こんにちは」と挨拶しても、専従者の無言で氷つくような眼は異様でした。

車椅子の生活で世間が見え始めて解ったのですが、ここの患者の中で私は圧倒的に若いということです。大部屋の他の人たちは75歳程度ですが、それぞれベットで不自由な動きをしていますが、患者同士気心が知れたせいか、朝のお目覚めから消灯までの間の口の動きはそれはそれは驚きでした。大分人はおとなしいという自分のこれまでの印象からまるで違ったものでした。

私は相当うるさくても我慢は出来ますが、W杯TV観戦が出来るのだろうか?このことだけが心配でした。おじいさんたちの話題は、相撲のこと、政党、地元市会議員の何たるかまでそれはそれは詳しく、大きな声で語り合うのですが、互いに耳が不自由になっているせいかまるで怒鳴りあう情景なのです。19日夜中こっそり布団の中で携帯ワンセグにて応援しましたが、応援力不足でオランダ戦では惜敗しました。

静かだなと思う時は、皆さんTVをつけています。つけていると安心するのでしょう。時折パンパンという手拍子が気になりました。TVの内容とは関係ない時に、パンパンは癖かなと思っていたのですが、ボリューム音が小さかった時に漏れ聞こえてきたのは、布団の中で殺した声で唱えるお経だったのでした。同じ布団の中でも、いい加減な私とは違う神聖な行為だったのです。

5日後の23日、私のことを心配してか看護婦さんが気使ってくれて私は元の個室に戻りました。24日のデンマーク戦は、堂々とTVをつけて応援が出来ました。退院前日、会話は一度もなかったのですが、食堂でよく見かけるおじいさんから私の持つ湯呑に、どうですかと差し出された一杯のコーヒー。マサッカー病院内でコーヒーを飲めるとは思ってもいませんでした。「ご馳走様」 蛇足ですが、入院中の2ヶ月間は患者さんの誰一人もW杯サッカーの話題はありませんでした。そんな感じです。

Zen

(2ヶ月間入院した病院のリハビリ室です。)

( 毎日のリハビリ 頑張りました。)

仲間入り or 村八分?(ゼンのつぶやき)

2010年8月22日 日曜日

東京に出た当初は、熊本弁ベラベラの正義感あふれる若者と錯覚した時代でした。電車の中でタバコを吸う人や駐輪中の自転車を倒す人がいた時躊躇なく注意をしたものでした。怖さ知らずというか田舎出の世間知らずというところです。

結婚をして普通の暮らしをするようになった現在は、事件に巻き込まれたくない。長いものには巻かれろ。古いしきたり伝統は間違いないのだなど、災いを恐れる保身パンパンの人間になっていました。とは言え、例え老いたとしても最低限全国平均レベルの正義感は持ち続けたいと必死にこらえています。

2008年大分県に来る前TVのニュースでは県教職員採用不正事件報道や今度の大分高校の書道展不正出品などの報道は気になる教育現場のニュースです。私が大分に住んでなければきっと聞き流していた程度の事件です。他県でも同じような事があっても解らないだけだと無理に思い込ませていたでしょう。

果たして大分県民は、他県の人と大差のない良い人の県民でしょうか? 個人個人は親切でとても良い県民と思います。 しかし組織が大きくなり古いしきたり伝統や実力者が絡んできた時、悪いものは悪い、してはいけないものはしてはいけないと、言える正義感を持っていますか? 長いものには巻かれることに徹していませんか?

歴史は人を育てるといいますが、若者には悪い面の歴史背景を引きづってもらいたくないですね。勇気を持って悪いことには悪いと言える自分でありたいと思います。最近身近で起きる出来事を見ていてつくづくその様に感じています。 大分県人の仲間に入れていただけるか、村八分にされるか大いに議論したいものです。

シャレが売り物のゼンのつぶやきですが、この度は堅い話になってしまいました。

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(大分の夜明け 未来へ輝くのか? )

(杵築市内の演舞場。うまく演じることは大切ですが。。。。)

Coca 効果(ゼンのつぶやき)

2010年8月21日 土曜日

先輩に初めて連れて行ってもらったコカレストラン。20年以上も前だからシンガポールや六本木やスクンビット通りにも勿論支店はなかった。タイスキレストランと呼び日本のしゃぶしゃぶ風食べ物と紹介されていた。パッポンやタニヤから歩いて数分だが格式ある大きな建物の割には近くの駐車場は薄暗くてぶっそうな雰囲気なのだ。

2階はツワー客の団体さんが座る席や個室がある。初めは2階で食べた様に記憶している。1階レジ近くには、年の頃80歳は超えていると思えた中国系おばーちゃん目を光らせているその姿を一目見てここのお店のオーナー関係者とわかった。お店スタッフのサービス態度に逐次注意を与えている。

この老舗レストランは、格式と伝統があり3階にはロイヤルファミリーが良く来ると聞いたが私は3階には行ったことはない。味付けだが、日本人客には初めはなじまないどろっとした甘辛いソースにたっぷりと加えたパクチ。強烈な匂いとその味には驚く。このタレこそが秘伝として長く伝え受け継がれている。醤油を希望する人には、キコーマンと言えば出してくれる。

赴任後は、毎日のようにお客様を連れて1階の丸テーブルに座った。日本では食べたことのない、やっと口に入る大きさの蟹の爪、エビの足に詰め物を揚げたコカエビ。日本から来たお客様は、このおいしさと値段に興奮する。さすがにパクチは苦手な人は多いが、通いなれてくるとこのタレが病みつきになり私は3杯ほどお代りをした。このパクチは精力UPと体臭が蚊を寄せ付けない効果がある。

日本から到着した出張者には、初日の夕食はここに決めている。お疲れでもあり緊張も在り体調を考えて、まず日本のしゃぶしゃぶに似たブクブク沸騰した鍋に具材を入れて食べるメニューは、お腹を壊したり不満等の外れはない。辛すぎるタレで翌日お腹が緩い方はおられたが、騒然とした店内丸テーブルでのおいしい食事は、大声での語らいと笑いは出張者への余りある土産話になる。

まずお客様を席に案内し私はレジに行き、その日のチップの20バーツ紙幣に両替する。ウエイトレスは普段5か所程度の丸テーブルのサービスを一人で担当するが、顔なじみの私が行くと次々に女性達が挨拶に現れる。それとなくテーブルの下でチップを手渡す。お客様は私の人気に驚く。家族はみっともないから止めたらと注意をするが、彼女らにとってはこの日の生活に貢献している金なのだ、との思いもありヤメラレナイーヤメラレナイという気持ちで悪びれず続けました。

Zen

( コカレストランにて 煙に巻く男かな? )

心もコール(ゼンのつぶやき)

2010年8月15日 日曜日

入院物語その5

夜の病室は、昼間の患者と看護師達の織り成すバタバタとにぎやかな時間とは違い、喘ぎ叫びに似た声がどこかの病室から聞こえてきたり、足早に出入りする看護師がいたり、寝静まった雰囲気の中にも異様さがある入院病棟3階フロアーです。

まず早朝6時30分頃大きなヤカンに入った温かいお茶が患者の用意した湯呑に配られます。その後7時30分頃各部屋に看護師さん達により朝食が届けられます。昼食も同様に先にお茶が配られその後が食事です。食べ終わった後にトレーを取りに来ます。これら一連のやり取りが患者にとって貴重な毎日の行動目標なのです。

夜食は、介添え食事の方が1時間先に配られ、後出し夕食の人は自分で食べます。例えば退院前の時期には33人のうち私含めて4人のみが後出し食事でした。それほどお年寄りや重症患者が多いということです。そういう私も入院から2週間は、3度3度寝たままの状態で食事を口まで運んでいただいていました。

夜明けとともに誰かのベットからかコールが始まると、その始まりを合図と思ってかあちこちの部屋から鳴り響くナースコール年老いた患者たちの仲間意識と対抗意識の表れでしょうか?週末親族一同が次々に訪れていた見舞い客の多い病室で、翌朝そのベットが真っ白なシーツのみになっていたときは、旅立たれたのだなと穏やかでない時の流れを感じました。

看護師、介護助士、いやぁ大変な仕事です。力いっぱい抱えあげたり、下のお世話あり、シフトとはいえ徹夜の勤務。寝静まった入院病棟に、夜中に鳴り響くナースコール、心もコール一瞬です。そんな時、個室で音量を抑えてワールドカップTV観戦。夜中にひとり日本を応援する私は不謹慎、罪と罰だったのでしょうか?

Zen

(窓から見える景色ー入院当初ベットから見えるのは、空と鳥のみでした。)

(2週間後ベットの頭を15度上げた時に初めて見えた外の景色です。)

(リハビリ開始後に、病室のベット端に座りはじめて見る景観でした。)

なに糞?やけ糞?(ゼンのつぶやき)

2010年8月14日 土曜日

入院物語その4

品の良いブログ制作を目指す(ゼンのつぶやき)に於いて、取り上げる言葉ではないのかもしれませんが、たまたま自分が体験した結果をここにご報告いたします。くれぐれも爽やかなお目覚め後とか食事時間等には気を悪くされない様十分お気付け下さい。

実は入院前便秘気味で4日ほど通じはなく、事故後は痛みと運動不足のせいか、その後も7日間ほど通じはなく看護師さん達も皆心配して座薬を入れたり、夜に小さな2個の赤い薬をくれたり、これ程この話題に熱をおびるとは思いもしませんでした。

小さい頃には喧嘩して糞たれなど、はしたない発言をした事を思い出します。それって、何糞、焼糞。。。どんな糞でもいい、とにかくスッキリ出てきて欲しい。そんな願いの一方、ベットを汚してはまずいと気にかかる。ただ、寝変えりも出来ない身で出来ることといえば、お相撲さんのまわしの様なおしめをすることだけだったのです。

おしめをした後の結果を想像すると、恐怖と不安と屈辱感と不快感。幸運にもその日は来ました。出入りする看護師さんに、来る人来る人 「出た。おめでとう」 と褒められるのも恥ずかしいやら照れくさいやら、「ありがとう」 とお礼は言いました。

出た時の安堵感と、生まれて初めてした(幼児時代は除く)おしめ。そのクオリッテイの高さに驚きでした。吸水性と言ううのか、糞マミレになったはずが全く不快には感じなかったのが感想です。出た時の爽快感があまりにも大きかったからでしょうか。

糞マミレという言葉を辞書で調べましたが、垢まみれ、汗まみれ、埃まみれ、借金まみれはありましたが、糞マミレはさすがにありませんでした。それほどの貴重な体験でした。

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(車椅子の後のリハビリで使用しました。)

漢字取る(ゼンのつぶやき)

2010年8月8日 日曜日

 

杵築での生活です。だんだんと目が悪くなり本も読まなくなると老いを感じ、手紙や文書も書かなくなり、パソコンで選択(漢字取る)って感じです。残る手だてとしては、目に良いときくブルーベリー頼みと言うところです。

ほんの数年前まで都会で暮らしていました。かんじ取ると言えば 「はい、奥の方から1人3000円ずつ、こちらに廻して下さい」 って参加費を集めたり、KY?(あの人はどう思うのだろうと)相手の腹を探ってみたり、始発に並んでは空いた席の取りっこしたり、そんな生活だったのです。

ここ田舎では、平日だろうと休日だろうと車の少なさや駐車場の広さに安堵感を感じ、近くの海岸に出ては湿っぽい潮のにおいを感じ、朝の鳥のさえずりに何だ今日も晴れかと穴掘りを想像し疲れを感じたり、数時間前の朝と夕刻時にまだ芽は出てこないのかと過剰な焦りと期待を感じたり、まるでここは別世界です。

Zen

(まるまる2日間かけてここに移り植栽してきた、この木の将来がとても心配です。

(早く芽を出せ、生きた証を見せてくれ、シマトネリコよ、、、って感じです。)

何とかしてよ~(ゼンのつぶやき)

2010年8月7日 土曜日

入院物語その3

入院直後はベットに滑り込み背中の骨よ素直にまっすぐ付いておくれ。直立不動で過ごす一刻一刻。ベットの上で藁をもすがる心で求めたものは、自分専用のコルセットです。聞けば数日後に型取りをして、遅くとも1週間ぐらいで品は届くでしょうと一般論で語られる。

何を悠長な、毎晩毎晩身動きが出来ぬ危機感から、会社で鍛えた交渉の粘り腰。声の大きさが効いたのか、コルセット手配師は、翌日に多忙の中この田舎の病院に到着。コルセット製作の為に石膏での型取り、何件か梯子して到着の出張技師は、お見事約10分間程度の計測の手際の良さに感激。

次もまた設計時代に鍛えたスケジューリング、会社に戻り工場への指示、完成品の発送方法など腰痛の人間のやることか。金に糸目はつけぬ特急便でお願いしますと泣きつく始末。1日早く届いたコルセットには立派な糸目が付いていました。ありがとう製作会社さん心からお礼を言いました。

計測の為初めてベットに座らされての10分間。その夜から数日間は経験のない痛みに襲われて、痛み止め薬の効く時間内にほんの少々の睡眠。コルセットを腰に巻きつけた時の安堵感は、遭難者が救助隊に発見されたその瞬間の喜びだったのかもしれません。泣き蛙負けるなコルセットここにあり。

2週間で点滴も終わり、リハビリを開始しました。生まれて初めて自分で操作する車椅子、小回りもできて以外にうまく乗りこなせました。ここまでの2週間。食事は? 排便は? お殿様以上の待遇で三度三度主食副食デザートまでも、お口の中まで運びいれてくれました。排尿はベット内で自分自身で出来ました。ご参考までに、1回の排尿量は300CCか400CC程度でした。尚大変申し訳ないのですが排便については、またの機会にまとめます。

Zen

(初めは難しかったのですが、直にコツ(骨?)は飲み込めました。)

カリプソキャバレー(ゼンのつぶやき)

2010年8月1日 日曜日

1990年は工場建設の準備のため1年間で180日近くタイへ出張しました。初めてのタイではないのですが、バンコクでの生活がまるで夢の様で、驚きの毎日だったことを思い出します。初めて覚えるタイ語も日本語と比べると、これまたとても楽しい瞬間でした。

音痴な私ですから、正確な音の上げ下げなど全く無視しています。一例ですガンケイナイ(関係無い)は、確か下着のパンツのことで意味をたどればガンケイがズボンで、そのナイ(内)だから下着かと覚えたものです。マイバンタツ(毎晩立つ)が定規だったことも20年経った今でもよく覚えています。

タイの有名歌手の所有する会社で借り上げたアパートに短期間住んでいたころ、歯が痛くなり日本人をつてに恵歯会を紹介していただきました。とても親切な日本人医師で、ひょんなことから隣のキャバレーの入場券(割引券で100数十バーツ?)をそこで買いました。当時は、スクンビット通りソイ24-26駐車場隣の場所でしたが、ステージが広くこれがニューハーフのショーなのかと思った程度でした。

しばらくして、そのカリプソはスクンビットソイ11のホテルアンバサダーの敷地内に移転しました。ここはこじんまりした、それこそカブリツキで見る小劇場です。子供でも観れるスマートで華麗なニューハーフのショーは日本からのお客様から大好評で観光でお連れする定番のコースになりました。多数のお客をお連れする為すっかり劇場スタッフと仲良くなりカブリツキの最高の席を確保できました。

今のカリプソは、アジアンホテル側に移り800バーツの料金になったようですが、アンバサダーの時には最盛期には1カ月に10日以上は通っていました。おちゃめな日本人芸者に扮したストーリ仕立てや、踊り構成の芸術性に魅了されました。宴会芸のニューハーフのお下劣構成とは違う素晴らしいショーだった事今も思い出します。

いつか又訪れてみたいものです。

Zen

(バンコクのカリプソキャバレー 全てが男性です。その1)

(バンコクのカリプソキャバレー 全てが男性です。その2)

(バンコクのカリプソキャバレー 全てが男性です。その3)

(バンコクのカリプソキャバレー 全てが男性です。その4)