2010年7月 のアーカイブ

県民でしょう?(ゼンのつぶやき)

2010年7月31日 土曜日

ケンミンショーというテレビの番組がある。お国自慢などをその県の出身者が紹介するものです。私は熊本市の城下町で生まれ育ちました。そのためか、知らず知らず熊本の自慢をしてしまうのです。熊本の自慢話は、スザンヌより私の方が早かったと思いながら。。。。。

杵築図書館から借りた本の中から、大分の歴史を一部抜粋すると、大友吉統(よしむね)は、豊臣秀吉の逆鱗に触れ豊後国を奪われてしまう。その原因は、秀吉が行った朝鮮出兵において犯した失態にあった。後陣の吉統は、包囲された味方の救援要請に対し形勢不利と判断し退却を急いでしまった。このことで死罪は免れたものの国は没収され毛利輝元にあずけられ幽閉された過去の歴史がある。

この様な背景を知っていて、大分人の性格を語れば面白いのかもしれない。一見もの静かで内に秘めた強さを持っているように見える。一方で別の表現をすれば、賢くもあり勝ち馬に乗る物静かな小利口タイプの人達で、自己主張もなく Yes-No をなかなか言ってもらえない。

例えば熊本県出身者の女子ゴルファーは、上田桃子、古閑美保、不動裕里、有村知恵、平瀬真由美など居り、その他有名人に、石川さゆり、八代亜紀、水前寺清子、スザンヌ、松野明美、内村光良、クリームシチュー、コロッケ達は口が達者で自己主張の部門で熊本県出身者が大分県出身者を数の上で圧倒している。

 野球なら川上監督と内川選手 柔道なら山下監督と大迫選手 政界なら細川首相と村山首相 相撲なら栃光と双葉山 そもそも比べることに何の意味があるのでしょうか?

高々1年間程度の大分生活でそこまで言っていいものか? 外から来た者だから言える事かもしれません。大分県民の方々間違っていたらごめんなさい。

  田舎暮らしを開始した今の私は、最近本籍を杵築市に移し正真正銘の大分県人になりました。認めていただくにはまだ先になると思いますが、大分地域の活性化に向けて皆さんと一緒に頑張りたいと思っています。

Zen

(生まれ育った街の熊本城)

(老いて育ててもらう町の杵築城)

早くも直面した問題!(ゼンのつぶやき)

2010年7月25日 日曜日

 

入院物語その2

移住前に想定した田舎暮らしの問題点として、 1.病気した時の信頼できる病院 2.私不在時の交通手段。 甘く夢見た移住生活スタートから4カ月目にして、いきなりこの問題に直面しました。運命のいたずらか、はたまた私たちに課せられた試練というものなのか?

事故にあった当日、近所の方のご厚意にすがり杵築市内の唯一の整形外科病院へ赴く。何としたことか無情にもこの日は週1回の休診日。仕方なしに近くの病院へ駆け込む。レントゲンを撮り問題はなさそうだし、しばらく様子を見ましょうと云うことになる。この日は、痛み止めを飲み自宅のベットに横たわる。

2日目痛み止めを飲み続け、何もなかったことにしてくれと心の中で唱える。偶然にも近所の別の方へ私の状況が洩れ伝わり、急きょ隣町の整形病院に行こうと強引に担ぎ出されました。MRI、CTスキャン、レントゲン等4時間にわたる検査の結果、第3腰堆圧迫骨折と診断されました。これでもかこれでもかと粘り強い検査をしてくれた医師に感謝です。ほっていたら大変な結果になるところでした。幸いにもこの日この医師は非番でしたが診察をしていただいたのです。

入院準備や今後の面会など家族は簡単にこの町へは来れない。医師に何とか自分の町で入院したいと願い出た。簡易のコルセットをはめ車の後部座席に寝ての町から町への移動は、目をつぶりどうか穴ポコや石ころよ絶対に顔を出さないでくれと心は揺れるし車も揺れた。この夜緊急患者用搬送口から車椅子に乗り2ヶ月間お世話になる病院のベットに滑り込んだのです。

目を閉じれば、空中に浮く自分の体が床に打ちつけられるシーンが甦るのでした。ベットの中での直立不動の姿勢で、点滴やお殿様もしなかった様な寝たまま顔を向けての三度の食事。寝返りもできない苦痛の2週間は人生初の体験の日々でした。その後の入院生活次回をお楽しみに。

Zen

(このベットの上で2ヶ月間生活しました。お世話になりました。)

記録の記憶?(ゼンのつぶやき)

2010年7月24日 土曜日

過日デモ騒ぎではタクシン元首相支援の幹部が銃撃される等のニュースが流れてエスカレートし、デモ隊が集結する場所は多くの日本人が住む市街地だったのでとても心配でした。現在は一見穏やかさを取り戻し安堵していますが、いつ再燃するか油断はできません。

思いかえせば92年5月事件の際、プミポン国王の前に膝まづくチャムロン氏とスチンダ陸軍司令官の映像が鮮明に記憶に残っています。それほどに国王に対する尊厳の深さを思い知る日でした。

この時は、バンコクに住んでいたのですが、外出禁止令など出ても実感はなく現場の生ナマしさは日本のNHKのニュースから伝わってきました。過去に20回以上のクーデター騒ぎが起きていても「クーデターは政権交代や政治の浄化作用なんだ」と、タイ人はいたって冷静でした。

タイの人は、マイペンライ、サバイサバイと至って楽観的な人ばかりですので直に旅行者は拡大するでしょう。参考までにアメリカの旅行雑誌の2010年世界のベストシテイに、1位バンコク、2位チェンマイ、3位京都、4位カンボジアのシエムリアップだったそうです。(バンコク騒乱前の調査)

話は一転ゴルフの話題です。石川遼選手は、最短スコアー58世界新記録のあとの全英オープン4日間、強風の中2アンダー27位は大健闘でしたね。ところで私の身近な人のプレー記録の記憶では、1日ランド数5ラウンド、年間ラウンド数540ラウンド、18年間ラウンド数2000ラウンドなどです。各々記録の達成者は違いますが、私がバンコク滞在中の知人の記録です。 これらの記録には、さすがの遼君も挑戦しないのでは?そんなことに挑戦する暇な時間は無いはずですから。。。

Zen

(タイガーウッズは、慰謝料などの話題はなくゴルフに専念していたと思います。)

(タイガーのゴルフを見るタクシン元首相。応援演説はなかったと思います)

山頭火危うし(ゼンのつぶやき)

2010年7月19日 月曜日

杵築図書館で手にした本に書かれていた。

山頭火はあやうく交通事故に遭いそうになった!

昭和5年その年の大分県下の交通事故者は16名で署管内の死者は1名。11月13日玖珠郡玖珠町での出来事だが、山頭火は危うく2人目になりかけたそうだ。

私は、30年以上もペーパードライバーで通うした。車の必要性を感じていなかったしそれだけの経済力も無かった。しかし、杵築市での田舎暮らしは車がなければ生活が出来ない。やむにやまれぬ気持ちで運転を開始した。周りの人が、私に言う。 「大分の人は運転が荒いから気を付けたがいいよ」 本当かどうかわからないが、 山頭火のこともあるし気をつけた事に越したことはない。

木付が杵築に改名された理由は? 

寛永9年細川氏が熊本へ転封すると、小笠原忠知が入り木付藩が成立した。その後将軍からの朱印状に、「豊後国杵築領」と書かれたものに、藩は間違いを正すことなく、杵築に改めたいと幕府に願い出たという。 著者によれば、杵築藩の新たな体制下で領内支配に臨もうとした意気込みが伝わってくると書かれている。

今の日本、どこへ行くのか? 

参院選挙後のねじれ国会、ますます混迷の一途をたどる政局。みんなの為のみんなの党、民主党、自民党、その他の党も新体制の意気込みを何とか見せてほしいものです。

Zen

(町の風情をかもしだすにふさわしい、新しく建てられた杵築市市役所です)

(  宇佐神宮で見つけた 山頭火です )

1週間のご無沙汰でした。(ゼンのつぶやき)

2010年7月18日 日曜日

 

入院物語その1

「1週間のご無沙汰でした」 ロッテ歌のアルバム(玉置宏)の決め台詞でしたね。

私の場合は「2ヶ月間のご無沙汰でした」 ブログを始めて1カ月目に、2ヶ月間もお休みしてしまいました。無念の中断です。まさかの57日間の入院生活。初めの2週間は寝がえりもできない絶対安静で、その後6週間リハビリを経て、生い茂る雑草の待つ田舎暮らしの館に戻ってきたのでした。

事故です。5月19日早朝5時30分。寝ぼけ眼で側にあった台車に乗り上部の作業をしようとした瞬間車が滑りダルマ落としのように私の腰はウッドデッキに打ちつけられました。そのまま声も出せず寝込んでいる家族を呼ぶために、手にしたサンダルで床や壁をたたいてのSOSサイン。やっときずいて起きてきたのが15分後でした。そのまま床に伏せたままの2時間。この状況は何かの間違いでないか?目を閉じてこのまま治ってくれと神に仏に祈ったものでした。

お見舞いに来た人生の先輩から、車のあるものには不用意に乗ってはだめだと叱られました。確かに田舎暮らしの面でもペーパードライバーの私としては、この様な失敗を二度とするものかと心に誓い反省しきりです。 皆様くれぐれも、車のついた乗り物にはお気を付け下さい。

この2ヶ月間の入院生活。転んでもタダでは起きぬ私です。事ある毎に入院物語としてまとめてまいります。

Zen

(この車にうっかり乗ってしまいました。)