2010年5月 のアーカイブ

サンディ毎日(ゼンのつぶやき)

2010年5月16日 日曜日

20年前の会話が鮮明に私の耳に残っています。その方のラウンド数年間540回。ウソーッと思いますよね。昼間は、自分のメンバーのゴルフ場へ行き1日2ラウンド。さすが土日は休息日。こんな豪傑は日本にはいません。何故って、ゴルフバックを抱えてバイクの後ろにまたがっては日本の警察は黙っていませんから。

この記録日本人なら誰でも疑います。ところが20年前のタイなら理解できるのです。まずメンバーならキャデイさんへのチップ以外、プレー費は無料。コースが空いているので1人でスイスイ回れるのです。ひと風呂浴びサッパリして夜の勤めに出る事、十分可能です。最近聞いた話では、この方は数年前に事故で亡くなったそうです。心よりご冥福をお祈りいたします。

私の知人には、サンディ毎日のシングルプレーヤーがいました。(毎日が日曜日の生活で、一人でラウンドする趣味ゴルファーだからです) 他に1日5ラウンドプレーの記録保持者もいました。コースを貸切るでもなく車カートでのプレーでもなく、BAGを引っぱるキャデイーとその人は、足には相当自信があったのでしょう。ハチャメチャに思えますが、その人を鉄人と呼び仕事では立派な実績を残しました。

20数年前のバンコクは、楽しい時代でした。東銀(三菱東京UFJ銀行)はタニヤ通りの角にあり、タニヤプラザビルは無く、薄暗いゴチャゴチャしたタニヤ通りの夜道を歩いた記憶があります。メリデイアンの日本亭にはよく行きました。リージェントそばの日本亭はまだありませんでした。

大丸は古くからあり、そごうの2号店、ヤオハンなど開店前でした。その後イセタンやラチャダピーセックの東急ができたりしたのですが、あっという間に多くの日本のデパートは消え去りました。マルイマルイは残っていましたが、これは日本の企業ではないそうです。さすがコピーの一級国と驚きました。お客が来ると決まって行きつけのパッポンの屋台に案内しました。「時計は香港製より台湾製が好いですよ」と店主に代わって説明する私でした。

Zen

(偶然にも私のバンコク生活のスタートに合せ、古いZENの看板は掲げられました)

             (これは新装開店した新しい看板になります)

メとメ(ゼンのつぶやき)

2010年5月15日 土曜日

朝気ままに好き勝手に道をぶらぶら歩く。サンダル履きの時もあるし雨靴やスニーカの時もある。歩くたびに目にとまるヤマボウシ。育つ過程(家庭)が気になる。

私は自慢ではないが、花はチュ-リップ。木は松。魚なら食べるのが好きなサバ。この程度ならなんとか判別できる幼稚で非常識な人間です。 家族は言います 「人前では、桜、梅、椿、ツツジ、モミジやカエデなど固有名詞は使わずに花は花、木は木、魚は魚、と言った方が、ボロが出なくていいじゃなーい。」

そんな私が、たまたま気に留めるのはヤマボウシ。このヤマボウシ薄茶色の細枝が上に伸びているだけ。全く葉も無ければ芽の影も形も無い。他の木々は芽が出て葉が緑に色づき始めている。落ちこぼれなのかと気にかかる。

都会に住んでいる時は、木の名前や葉の色づきに興味すら持たずに過ごしてきた。ゆっくり確実に育つ植物のペースと生かされているかのごとく働く自分のペースは、全くかみ合わず、木の移り変わる様子など心にかけることもできませんでした。

そんな私。今時は静かに流れ、木の育つスピードにじっと我慢しながらも自分を合わせている。早く育てと水をかけ叱咤激励しても木は木。ヤマボウシ自身のペースで生きている。ヤマボウシの名前を覚えただけでも私はすごい。

ホーホケキョと鳴くウグイスには心が安らぎ、チュンチュンチュンと息つく暇も無く鳴き続ける鳥には、のどが渇くのではないかと気にかかる。雀が庭に来てくれるだけでうれしく、可愛いと喜んでいる今日この頃です。

ところが一大事です、燕は玄関の扉の上の隙間やら裏のシャッターの出っ張り部分に巣作りを始めたのです。2日間、玄関スペースにカバーをつけ、軒先にCDの円盤をぶら下げ、シャッター上部を網で覆ったり、攻める燕と守り切ろうとする私と家族。

ヤマボウシの芽の動き等田舎暮らしを自慢したり、一喜一憂する事スズメとツバメ。田舎暮らしを本当の意味で自慢できる日は、まだまだ先になりそうです。 メ と メ ゼンのつぶやきでした。

Zen

( 2010年4月15日撮影 ヤマボウシのやっと出はじめた芽。  )

( 2010年5月14日撮影 切り株から 生命が芽生え始めた芽 )

あとの祭り(ゼンのつぶやき)

2010年5月9日 日曜日

杵築に移り住んで3カ月と10日。一日も早く地元の事を知りたいと 「杵築お城祭り」 見物に行く。

スーパーと住まいの往復だけの若葉マークをつけて走る車は、やっとの思いで走行距離1000Kmを突破。お祭りといえども車の数は極端に少なく図書館近くには広々した駐車場がある。何のことはない、バックがおぼつかない私の運転では広い駐車場が、行き先決定条件の一つと言えるのです。

このお祭りは2日間開催されます。初日は、主催者挨拶のスピーカ音が強烈に耳に響く中、数軒先の店頭で湯のみ1個100円セールの張り紙が目にとまる。何とはなしに店の中に引き込まれる。そんなムードがあったのだろう。倉庫の中の在庫量は半端ではない。2階にもあるし別店舗の倉庫にも多くの品があるという。

すると連れの目の輝きが一段と増してきた。何故なら我々は、バンコクーパッポンの屋台で鍛えぬいた値切りの技に自負心があるのです。それでも交渉は難航。80歳を超える店主のみならいざ知らず、番頭さんの厳しいチェックとおかみさんの決済という双壁が立ちふさいでいました。

一旦演舞場の2階の食堂でカレー、うどんで腹ごしらえを済ませ、再度午後の値切りに挑戦。庭に置く陶器の鉢や湯呑、小皿などゲット、年金受給を待つ身での出費は痛かった。勝つたか負けたか軍配は分からぬまでも、お祭りそっちのけで楽しいひと時でした。

2日目お城祭り見物。また、性懲りもなく陶器屋に入りそうで、ぐっとこらえて江戸行列、花魁写真撮影会。堅い石段に座って待つこと1時間30分。緩やかな坂道、連なる土塀の醸し出す時代感、鎧かぶと、芸者衆や花魁姿、バチバチ撮りまくるデジタルカメラ。

止め置きの品、今日受け取りに行く、鉢、湯呑と小皿。この事を人は 「あとの祭り」 と言うのでしょうか?

(陶器屋さんの2階倉庫の奥庭の美しく咲いたツツジには驚きでした)

(演舞場ではありません。杵築の一般道の土壁のまえに居並ぶ、おーいらん)

ウキウキ(ゼンのつぶやき)

2010年5月8日 土曜日

この話は20数年前の話です。老いかけた記憶と他人からまた聞きの話ですので、読む前の心がけとしては、何事にも疑ってかかってください。

日本の雨季と言えば、6月の梅雨期と9月の秋雨期ですね。バンコクと言えば11月から2月までは乾季で、過ごすには一番良い時期です。3月から4月にはソンクラン(タイ正月)もあり、とてつもなく暑い時期です。そして雨季と言えば5月から10月。

シトシト降り続く日本の雨とは違い、30分間か1時間バケツをひっくり返したような大粒のスコールがきます。事前兆候として空に黒い雲が覆い始めます。そんな時一般的なタイ人の行動パターンは、傘も無く、雨長靴を履くでも無く、したたかに雨宿りの軒先を探します。一方スコールの中を勇敢に突破する2人乗りのバイクがとてもかっこよく見えます。

ここまでは、ガイドブックか旅行記に書かれていることでもあります。では、ここからはあまり書かれていない話になります。

タイでは、脇道をソイと呼び(幹の小枝)これは、水路生活時代の延長で道が作られてきた為ソイの先端で道は行き止まり、迂回ルートを熟知している運転手のプロでないとすぐに迷ってしまいます。

ここからが問題です。河口から70キロ離れたアユタヤですら海抜7メータです。バンコク市内は海面すれすれ、川へ流れ出ない高低差ですのでスコールの後は想像を絶するものでした。

高々車で15分間ほどの距離なのに3時間かかって、偉い方の待つ約束のレストランに到着すること日常茶飯事の時代でした。こんな時でも特に説明はいりません。「車が混んでいました。」 この理由が全てなのです。相手の方が許すかどうかは定かではありません。

大げさに受け取られるかもしれませんが、アユタヤからの戻り70キロ、5時間かけての帰宅が週3回あったこともありました。(今から思えばよくトイレを我慢したものだと感心しています)

日本のビジネスマンは、1分間でも問題にしますよね。偉い方を待たせて遅れようものなら、人生の終わりだと落ち込む人もいるでしょう。勤勉でまじめな日本人、とても素晴らしく誇りです。人間の本質、、、腕時計は現在はめていません。脱社会です。落ちこぼれか田舎暮らしか? 問題とは、クエスチョンではなくプロブレムでした。

Zen

(20数年前には、1-2時間のスコールでこの様な洪水にもなりました。)

(過ってのスクンビットのソイでは靴など無用の長物、ゴムゾウリを履かざるおえない環境だったのです。)

生きるか死ぬか?(ゼンのつぶやき)

2010年5月3日 月曜日

生きるか死ぬか?大げさな表現ですね。ハイチ地震でもなく、戦争でもなく、交通事故でもなく、ましてやバンコク爆破騒ぎでもありません。

もし都会に住んでいたら、引っ越しの挨拶で1回会った人に対して、この庭にある中で、「何かもらえるものはありませんか」とは言えませんね。いくら私でも、、、、、、犯罪の色眼鏡で見られかねません。しかし、ここは都会ではありません。田舎暮らしです。たまたま居合わせた造園のプロが言うことには「この木は移しても生きる。」この一言で勇気つけられ戦いの火ぶたは切られたのです。

この戦いは簡単に決着がつくだろうと見越したのです。ところがどっこい、いくら掘ってもびくともしない。「腹が減っては戦はできぬ」やむなく一旦休戦。お昼を食べに家に戻る。うどんを流し込み栄養ドリンクを飲んで、いざ戦場へ。あと1-2時間で終わるだろうと思いきや苦戦の連続。三、四時間四苦八苦しながら日暮は迫り決着のめどは立たない。投げ出すことはいやな性分で、このままほっていたのでは死んでしまう。明日もまた来よう。

家族からは、「そんな手をして、どうしても行くの」私の体を心配しての発言に思える。「行くよ、行かなければ死んでしまう。かわいそうじゃないか」先の見えない戦いに挑む決意は固かった。〇〇2日がかりシマトネリコ、君は強かった、よく我慢してくれた。生きるか死ぬかまだ分かりませんが、取りあえずシマトネトリコは安住の地に行き着いたのでした。

Zen

(この写真、手相ではなく死にそうでもなく昨夜貼ったシップ治療痕でした。)

(戦いのなか耐えしのいだシマトネリコの姿です)

タイ タイヘンです(ゼンのつぶやき)

2010年5月2日 日曜日

日本のテレビでニュース報道されるタイバンコクの赤シャツの一団。タクシン派支援のグループ。お年を召されたプミポン国王にとって居たたまれない状況下です。最近戻ったバンコクは自分の庭とも称する友人ですらも日本人村と言うべきタニヤには身の危険を感じて(用心して)近づかなかったようです。

それでもタイにいる大半の日本人にとってGOLFは、切っても切れない仲なのです。過ってはGOLF場の日本人は(傘持ち、椅子持ち、バック持ちのキャデイ) 4人 X 4組=16人の大名行列ご一行と揶揄された時もありましたが、最近はそんな余裕も習慣も無いようです。

やさしいキャデイさん達のパターラインを読んでボウルマークをラインに沿わせてくれる心使いは今だ健在の様です。決して見えないからと言ってボールを蹴飛ばしたり置きなおすような事はありません。それがあれば、私の今までのゴルフスコアーをゼン否定することになりますから。

タイでは、ゴルフ場関係者の教育が良くできています。気持ち良くプレーができたら、くれぐれもチップを渡すこと忘れないでください。キャデイさん達の生活がかかっているのです。(きっと貴方も、日本では決して味わえないセレブ感を味わうことができるでしょう。)

4月と言えば、ソンクラン(タイ正月)水かけ祭りです。例年なら運搬車荷台と沿道との水かけ風景が必ずと言っていいほど日本ではニュースになっていましたが、今年のニュースはその様な悠長な事態ではないようです。本当にタイヘンなタイです。

Zen

(ソンクランの日、バンコク中心街で見かけた2人。写真を撮らせてもらいました。)

(タイ、バンコク中心街でのソンクラン水かけ祭りの写真です。念の為今年ではありません)

なぜ0501?(ゼンのつぶやき)

2010年5月1日 土曜日

なぜ0501? 流行のベストセラータイトルに習ったわけではなく、エイプリルフールと言われるのも嫌だし月半ばも中途半端だし、10日間程度の助走期間も必要だと思ったし、メイデイだから迷日。私のブログ開始日は2010年5月1日にしょう。10日間やってみてダメならもう書くのは止そう。そうそうその為の止そう期間でもあったのです。

とか何とか面白いことを言ってはいますが、実は年をとってくると食欲は健康のバロメーターとして日ごろの生活の中で食欲減退を気に留めておかねばなりません。一方シニア時代で団塊の世代と持ち上げ持ち下げられている中、脳の減退いわゆるボケ予備軍の世代ともいえます。

いつからブログはじめましたか? との質問を受け 何日だったかな? と思いだすのに苦労しないように20100501と切りの良い覚えやすい日にしたのでした。  これを受け、いつからブログを始めたのだっけと自問して、すぐにその答が出てくるかが、わたしにとって、そろそろ XX はじめたかなのバロメーターなのです。

今日は何曜日?毎日が日曜日の田舎暮らし人生。そんな悩みを私も持ってみたいものです。

Zen

(2010年4月2日撮影 ヤマボウシ)